中国神話もインド伝説も、ともに神話の域を出ないもので、作り話といわれるほど根拠のない話ではあるが、舞台が中国であることは一致しており、茶の始まりは中国であり、茶が昔から薬用効果があり、特に不老長寿の霊薬としての神秘的な薬用効能が重視され、宗教と結びつき、一般的な飲み物となる前に宗教的、政治的、儀式的なものとなり禅や茶道に発展するのも、この発祥の神話に基くものと思われる。
実際に茶が文献にあらわれるのは三国志 (西暦242年〜283年) である。
「呉の人、茶を採り之を煮る」との記述があり、茶の発祥の地といわれている西南夷の雲南から野生の茶が四川省に伝播したものと思われる。
西暦386〜535年頃の間に、茶の製造や飲用について文献に残されているものもあり、漢代から三国時代、唐代にかけて本格的に飲み物として普及した。 茶樹の栽培は350年頃といわれ、最初の種子は四川省の丘の斜面に植えられ、茶の飲用も各地に広がっていった。 漢代 (620〜907年) には、茶の栽培も山岳地帯の奥地から揚子江に沿って下り、やがて中国全土に広がるようになった。
茶が中国全土から国外にまで知られるようになったのは、780年代唐代の中頃、文人陸羽が著した「茶経」のによるものである。
「茶経」は茶の古典といわれ、全3巻、10篇にわかれ、茶の植生、用途、製造方法、製造機具、茶の入れ方、茶道具など、当時の茶の全てを解説した大作である。 この書によって中国はもとより世界各国に茶が知れわたり、今日の茶業の隆盛をみたのであり、これにより今日でも陸羽は「茶神」として崇め奉られているのである。
中国に発祥した茶は、まず周辺の国々に広がり、西はチベット、カシミール、中央アジア、イラン、イラク、コーカサス、さらにアフリカ北岸にまで伸び、
東は朝鮮、日本に渡り、北は蒙古、シベリヤに広がって東アジア全域に及ぶのである。
中国の茶が最初にヨーロッパに送られたのは、1610年で、オランダの東インド会社が中国のマカオと日本の平戸から緑茶を買い付けて、これを自国領土のジャワのバンタムに送り、さらに船でヨーロッパに転送したものとされている。 これらの茶はさらにポルトガルやオランダの宮廷社会に入り珍重された。
やがてオランダ商人は1657年海を渡ってイギリス海岸に中国の茶を送り込んだが、これがイギリスで人気を呼んで、茶の需要がまたたく間に広がって、
東洋への憧れと茶の自力輸入への熱望となって海洋熱がおこり、スペイン、オランダ、ポルトガルと東洋交易を争い、イギリスが海の覇者となって東洋交易を独占するにいたるのである。 イギリス東インド会社が中国茶をロンドンに運んだのは1669年ジャワのバンタムからロンドンに輸入したのをきっかけに、オランダとの茶交易の競争が激化していった。